恋と愛と偉大なる魔術師
【Gialloblu BAR】
人の影響とはなんとも不思議なもので、自身が全く眼中に無かった分野のものを好む他人からの勧めで夢中になってしまうことは多々、あることだ。
例えるならば、彼女が好きなものを知る努力をする過程で、自身も虜になるというもの。そうした場合、大抵はその彼女と別れた後も、件のアーティストを追いかけていたりする。
あるいは、少年にとっては彼女とアーティストではなく、天才レフティと小さなクラブだったりもするのだが。
少年が初めてカルチョに触れたのは地元・横浜で行われたCWC、浦和vsミランである。
当時、黄金期を迎えていたミランの来浜に父は興奮していたが、少年はあまり海外サッカーについて詳しくなかったので「あ、21番と22番はどこかで観たことあるぞ」くらいの感覚であった。Cafuが横浜に来る予定だった選手ということは後に知った。(出場機会は無かったが。)
試合についても…正直よく覚えていない。GilardinoのダイレクトシュートとKakaの持ち上がりの2つは強く印象に残っている。なんやかんやでミランが勝ち(※Seedorfが決勝ゴールを挙げたようだ)、アンチ浦和の親子は大いに歓び、満足感を得てスタジアムを後にした、記憶。
(出典:asahi.com)
以来、多少なりとも感化された少年は、雑誌の表紙がミランだった時は手に取り、ウイニングイレブンではミランを使い、ミランがニュースになっていた際はそれとなく見る習慣がついた。とはいっても、スタメンさえ満足に覚えていない、サポーターを名乗るには烏滸がましい程度のただのミーハーであった。
時は流れ13/14シーズン冬、日本サッカー界に衝撃が走る。本田圭佑がミランに加入、しかも10番を背負って、である。あの日観た(※みたいだ)決勝ゴールを挙げたSeedorfの背負っていた番号、それを日本人選手がつける日が来ようとは…。長友佑都のインテル入団も相当な騒ぎであったが、兎にも角にも世間は沸きに沸いた。
それを少年、もとい青年は、冷ややかな目で見ていた。何故か?当時青年にとってのヒーローは、世界最高のプレースキッカーの名を欲しいままにして横浜に帰還した、天才レフティその人だったからだ。ミランの新10番は、国際試合において彼と衝突したこともあって、青年はあまりいい印象を抱いていなかったのである。
(出典:jiji.com)
そんな折、国内メディアはある選手を"本田のライバル"として記事にしていた。背番号14、スロベニア代表MFの天才レフティ・Valter Birsaである。
歳は違えど、奇しくも本田と誰かの関係性と重なって見えたこともあり、少年は彼に興味を持った。そして、その力強くも繊細なプレーの数々に惚れた。きっと彼こそが、Rossoneriで青年が好きになった最初で最後の選手であろう。
(出典:Goal.com)
半年後、Birsaは小さなクラブへとローンに出される。
なぜ、彼が?
未熟心ながらに青年は憤怒した。
また一年後、Birsaはその小さなクラブへ完全移籍加入する。
結果、ミーハー程度にしか思い入れの無かったミランから青年の心は完全に離れ、移籍先の小さなクラブを追いかけるようになった。
知りたいのに、情報がほとんどない。中継を観ることはほとんど叶わず、セリエA公式のハイライト動画がささやかな楽しみであった。
日本語サイトでの紹介はわずかばかり。それも、個人のブログのようなものが主であった。しかし、それでも青年を惹き付けるに十分な謳い文句が並んでいた。"空飛ぶロバ"の愛称の理由、'00年代初頭のカルチョを席巻した"Miracolo Chievo"、穏やかなサポーター、日本との関係性、そしてBandieraの存在…などなど。調べれば調べるほど、小さいながらも勇猛果敢で、そしてアットホームな空気感に青年は魅了されていったのである。地元クラブ以外に、本当の意味での「サポーター」を名乗るほどまでに、想いは強くなっていった。
Pellissier、青年にとって彼の存在は本当に大きい。イップスに悩み、部活を辞めようかという時に青年を支えたのは、大好きなロックバンドのボーカルと、大好きなクラブのカピターノだった。恵まれたとは言えない体躯ながら屈強な相手DF陣に挑んでいき、ゴールをもぎとる姿はまさに勇気そのものに映った。
(出典:@ACChievoVerona)
いつの間にか恋は確かな愛へと変わり、青年に語学学習を促すまでになった。国内メディアから得られる情報に限界を感じ、現地メディアから直接調達する術を身につけるようになる。ボキャブラリー以外は翻訳アプリに極力頼りたくないため、精度は未だにまずまずといったところだが、この縛りは継続していきたい。
(なお、語学学習に時間を割いてきた分、当然ながら大学受験は惨憺たる結果に終わったのは想像に難くないだろう…。)
……そろそろ三人称で綴るのも疲れた。慣れないことはしない方がいい。
当然だが、青年というのは筆者のことだ。
最近(特に、CR7の来伊以後)フォローしてくださる方々は知らなかったと思うが、Twitterアカウントを開設した当初は
「なんでキエーヴォ(なんか)が好きなんですか?」
と聞かれることも多く、筆者も逐一説明していたので既知の方もそこそこいるに違いない。きっと。
セリエAリーグ戦開幕から本格稼働予定です
— Yotaro:Giappone Clivense (@Chievo_Giappone) August 12, 2017
(初ツイート。どこか懐かしい!(笑))
18/19シーズン冬、降格争い真っ只中にBirsaがカリアリへ移籍していった。正直、これが一番怖かった。愛していたのはキエーヴォなのか、Birsaなのか…はっきりと自身に答えが突き付けられるからだ。こういった心情は実際に事が起こらないとわからないものゆえ。
結果として、筆者はBirsaとの別れを受け入れ、今もキエーヴォを愛し続けている。居るべき家を見つけたような心境だ。実に5年も経てからそれを実感しているのも、いささか不思議ではあるが…。
もちろん、他ビッグクラブの日本人サポーター数に嫉妬することはある。サッカーを楽しいと感じる瞬間の1つに、プレーやゲームやチームについて、仲間と語り合う場面が確かに存在しているからだ。
幸い、少人数ながらGiappone Clivensiはいるが、将来的には会を開けるまでにサポーターを増やしたいという野望を密かに抱いている。
そのきっかけに、筆者のツイートなり記事なりが少しでも貢献できるのであれば本望だ。かつて面識なき数多の個人ブログが筆者をClivenseへと導いたように。
Clivensi会では景さん(@fctrack)と吉村家の美麺を通して選手の素材の大切さについて学び、日産ではキャパが広いのに動員数が伸びないクラブが如何に客を呼び込むかということでBentegodiの活用法について熱く論議しました。
— Yotaro:Giappone Clivense (@Chievo_Giappone) April 13, 2019
令和にも開催予定です。 pic.twitter.com/OAEl2nXkVh
(第1回Clivensi会…?)
深夜の高揚感に身を任せて綴った自己満ポエム、ここまでお付き合いいただいた物好きな方には深く感謝申し上げる。一部からは歓迎されないサポーター歴かもしれないが、これもまた1つの形であると開き直ってみたい。
(同様に、我々は新たなClivenseの誕生を大いに歓迎する。)
確かに、筆者とGiallobluのキューピットとしてBirsaという天才レフティは存在した。敵となり、いつか引退しようとも、その事実は揺るがない。1人のClivenseとして、小さなクラブに夢を運んだ偉大なる魔術師の魔法の数々は、脳裏に深く刻み込んでおこう、との決意を。
(出典:@SOSFanta)
追伸:Dinoさん、ようやく書きました(笑)。
追伸の追伸 :Kyazuさん、リクエストありがとうございました。